先日の全国学習交流集会in東京での、
労働学校分科会での報告を、今日(13日)思い出しながら、
文章で書いてみました。
県学習協の会報に載せるつもりで書いたのですが、
せかっくなので、ブログにも載せちゃいます。
当日は20分ほどという時間の関係で、
言わなかったことも、けっこう書きました。
逆に、言ったけど書き忘れてることもあるかもしれません(汗)。
集団学習の魅力を最大限生かしきる、
という問題意識がいちばんのポイントです。
長いですが、興味のあるかたは、ぜひお読みください。
(字が多くて目が疲れそうなので、大きくしてみました)
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「岡山労働学校の経験と、大事にしていること」という
テーマで、報告をさせていただきます。
最初に、岡山労働学校のことをざっくりと説明します。
岡山県学習協が主催する「岡山労働学校」は、現在年
2回、5月と10月に開校されていて、いま80期目をむ
かえています。私(長久)は、48期(1994年)から関
わり始めています。なんと当時19歳でした。
私は、全国の労働学校運動の現状を見渡してみて、
岡山という地方都市で、学習協独自の事業としての
「労働学校」を継続的に行なえているということは、ほ
とんど奇跡的、と思っています。それほど、この事業を
継続していくことは、並大抵の苦労ではありません。
私もつねに綱渡りをしている心境です。
岡山労働学校は、毎期、講義+企画で、13~
14回のカリキュラムを組んでいます。講義は毎週
木曜日の晩です。約2か月間の開催期間です。
カリキュラム(教室内容)の問題ですが、これは岡山
県学習協の責任で決めています。情勢、課題、「今ど
んな学びが必要か」を総合的に判断し、内容を練って
いきます。
もちろん、労働学校運営委員や受講生の意見も聞き
ますが、最終的にカリキュラムをつくる責任をもってい
るのが学習協だと思っています。ここ数年は、労働学
校の基本性格を押さえながらも、かなり挑戦的なカリ
キュラム(教室内容)を試行錯誤で試しており、一定の
成功をおさめています。
次に募集についてです。受講生の組織は、もちろん
苦労の連続です。最近では、通し受講が減ってきて
おり、その日だけの参加、単発参加が増えています。
たとえば79期の岡山労働学校も、単発参加をふくめ
ると、参加者は50名をこえるのですが、通し受講とな
ると、運営委員ふくめ、20名前後というのが現状です。
その困難の客観的背景には、「時間」「場所」「体力」
「お金」という壁があります。労働学校に「できることな
ら参加したい」「行きたい」という若い人は、じつは募集
活動のなかでたくさん生まれます。しかし、仕事などの
状況が、それを阻んでいるのです。長時間労働、残業
によって、なかなか労働学校に「これない」のです。
また、職場のすぐ近くで開催されるのであれば参加し
やすいですが、当然労働学校の会場は、職場から一定
離れていますので、会場にがんばって「行く」努力をし
なければなりません。長時間労働とあわさって、難しい
条件のひとつです。
さらに、仕事でクタクタになって、「家に帰ってゆっくり
したい」「夜に学ぶ体力がない」という場合もあります。
そして、受講料という「お金」も労働学校の場合には必
要であり、若い人が参加しやすいとは言えません。
このように、客観的には、若い人が労働学校に参加
するには、さまざまな「壁」をのりこえる必要があるわけ
です。だからこそ、岡山労働学校では、その多くの困
難を乗り越えてでも参加しようと思える「意思」をどうつ
くれるのか、それが課題だと思っています。
その参加しようと思える「意思」をつくるのは、端的に
いえば「魅力がどれだけあるか」です。魅力の柱となる
のは、「学びの中身(カリキュラム)」と、そこで一緒に
学ぶ「仲間集団」の質です。
たとえば、岡山労働学校の場合でも、「他の日に残
業して、木曜日は来るようにしている」とか、「一時間
以上かけて参加している」など、たいへんな努力をして
参加してきてくれる受講生が多くいます。それは、それ
だけの魅力を岡山労働学校がつくりだせているからな
わけで、客観的な条件が困難だからといって、それに
負けない中身のものをつくりだすことができれば、変化
を起こせると思っています。
もちろん、労働学校に参加するための客観的条件を
勝ちとるたたかい(時短や貧困の解消)も必要なことは
言うまでもありません。岡山労働学校が、あくまで平日
晩の開催にこだわっているのは、労働者が平日の夜に
きちんと学べる社会にすることも、私たちのめざす社会
像のひとつの要素であるからです。
さて、そうしたたいへんな募集活動の中心を担ってい
るのは、若い人でつくる「運営委員会」です。
労働組合などへの募集要請はもちろんしていますし、
軽視していませんが、実質の募集となると、運営委員
の働きかけが決定的に重要であり、また比重もたいへ
ん重いものがあります。参加者の受講動機の大半をし
めるのが、「運営委員の人に誘われて」というのが状
況です。
したがって、募集成功のカギは、なんといっても運営
委員会の力量です。そのため、学習協の大きな責任
として、運営委員のなり手をつくりだし、育てていく活
動を、進めていく必要があります。運営委員一人ひと
りの成長と、その相互作用としての運営委員集団の
成長に責任をもち、指導と援助をしています。
さて、そうした岡山労働学校の活動のなかで、大事に
していることを、いくつかあげていきたいと思います。も
ちろん、これからあげる岡山労働学校の学習形態・運
動文化は、いっぺんに確立されたものではなく、ここ
10数年のあいだに、試行錯誤しながら、教訓化してき
たものばかりです。したがって、これまでの労働学校運
動に関わってきたすべての人の実践の結晶ともいえます。
まずなにより、「学校」ということにこだわっている、という
ことです。
よく労働組合が主催して、1日かけて、あるいは1泊2日
などで「労働学校」をしていますが、正確にいえば、あれは
労働学校ではありません。「学習会」であり、「講座」「研
修会」です。
では、「学校」とはなんでしょうか。それは、人間として
多面的に成長する場であり、社会とのつながりを見つけ
られる場であり、「どう生きるのか」という問いに答えられ
る場です。そして、いまの社会状況のなかで奪われてい
る人間らしさを取りもどす場でもあります。
そして、集団のなかでの「学びあい」「高めあい」「深め
あい」「気づきあい」「認めあい」があります。
「学校」とは、しっかりとした理論や知識を学ぶこととと
もに、集団のなかで、一人ひとりが人間的な成長を生み
出していく発達の場である、という自覚です。それを保障
するのが、一定のカリキュラム量です。
他県の労働学校では、5回とか6回で終わってしまう
ものもありますが、岡山の場合は、この「量」にこだわり、
毎期13回~14回のカリキュラムを組んでいます。
5回ほどですと、どうしても学びの深まりや、交流の
深化がもう一歩です。受講生どうし、仲よくなり始めた
ころに終わってしまいます。岡山労働学校の場合は、
毎週々々、木曜日に集まり、また交流企画もあり、そ
の濃密な集まりが2か月間続くわけで、これは、学び
の質や交流の質に大きく反映します。
とてもおもしろいのですが、開校序盤の教室の雰囲
気と、終盤の教室の雰囲気は、いつも相当な変化をみ
せます。終盤になるにつれて、学びが深まっていること
を反映した討論が生まれ、連帯が深まっている雰囲気
が教室に広がっています。それは、そうした学びと交
流の深化と発展を、量的に保障しているからです。「学
校」というものが生み出すものの大きさを、量的に確保
するわけです。
二つ目に大事にしていることです。それは、ヒューマ
ニズムです。つまり、「あたたかさ」や「人間くささ」とい
うことです。
岡山労働学校は、初めて参加した人が、すんなりと
溶け込める「あたたかい学校」を目指しています。入
学式での初参加の人への気配りや声かけは特別に
重視していますし、さまざまな場面で、その人の個性
があらわれ、連帯感をつくりだせるような場をつくって
います。
よく岡山労働学校に初めて参加した人から、「知ら
ない人なのに、声をかけてきてくれて、すごく嬉しかっ
た」「アットホームな感じでびっくりした」という感想が
でるのもそのためです。
また、講義前に受講生が主役となって15分間自分
の好きなことを語る「ワンポイント講座」、毎週10数
ページにおよぶニュースづくり、講義と討論の終了後
に有志参加で行われる「なごみ」とよばれる交流会。
こうした取り組みは、労働学校に集まった受講生が
相互に交流し、連帯を深めるのにとても重要な役割
を果たしています。
もちろん、労働学校での学びの内容そのものが、
受講生の成長への大きな栄養になっていることと
同時に、そうした労働学校の雰囲気が、相乗効果
で働いて、参加者の心のふるえを生み出していっ
ていると思います。
岡山労働学校の修了式では、涙をうかべて労働
学校ことを語ってくれる参加者がいます。78期の
修了式のときも、「感動(?)して泣いてしまいました。
あたたかい場でホッとする」と感想を語ってくれた
受講生がいました。
そうした、ヒューマニズムあふれる学校であるとい
うことは、いまの社会状況なかで、強調してもしすぎ
ることはない、大事な獲得目標だと思います。
さて三つ目の大事にしていることです。それは、集
団学習の魅力を磨き続ける、ということです。
もちろん、学習の基本は独習であることは大前提
としたうえで、以下述べたいと思います。
さきほども言いましたように、「集まる」ということ自
体が、とてもたいへんな状況があるわけです。しかし、
集まれば生み出せるものがたくさんあります。でも、
ただ「集まる」だけではダメなのです。集まることに
よっての「反応」を起こさせる「しかけ」が必要になっ
てきます。それはひと言でいえば、集団学習の長所
を最大限生かす、ということです。
学習運動もふくめ、さまざまな団体や組織が、「学
習会」「講演会」という形で、「集まって」学習をするこ
とは、よくあります。しかし、ただ講演を聞いて終わり
では、せっかく集まって学んでいるのに、その長所が
まったく生かされないわけです。「大勢で話を聞いた」
という限定的な成果しか生まないわけです。
労働学校の学習形態・運動文化は、「集まる」ことを
最大限生かしたものにしていく必要があります。した
がって、講義の前と後が、特別大事になってきます。
まず、受講生どうしの交流をいかにスムーズに活
性化させるかは、労働学校前半の課題です。岡山
労働学校では、伝統的に入学式で、交流の時間を
たっぷりととり、「自己紹介交流」「偏愛マップ交流」
という交流ツールも生み出し、発展させてきています。
これは、受講生が「こういう人たちとこれから一緒に
学んでいくんだ」という意識が自然に生まれることに
役立っています。また、ふれあいコンパなどの交流
企画も、序盤に配置し、交流の推進をはかっています。
また、討論のすすめ方や内容も、大事です。参加者
から、「いろんな人のいろんな意見や疑問を聞けて、講
義に加え、さらに考えを深めていくことができました」
「自分があまり気に留めていなかった事を誰かから聞
けてハッとしたり、難しい部分を詳しく人が解説してく
れて深められてありがたい時間です」という感想が出
ているように、討論による「学びあい」「深めあい」は、
労働学校の大きな特長のひとつです。これは運営委
員などが中心になって司会などするのですが、何を
大事に討論をすすめるか、など、さまざま試行錯誤し
ながら、討論の充実もはかっています。
そしてニュース発行です。岡山労働学校では、教室
の様子、講義の内容・討論の内容・参加者の感想、
受講生による投稿コーナーなどをまとめたニュースを、
毎週々々ねばり強く発行しています。ニュースは、受
講生どうしの交流の促進、学んだことの確認、新しい
発見などを生み出す重要な媒介者としての役割を
持っています。
岡山では「修了レポート集」という修了文集も必ずつ
くるようになっています。参加者が、それぞれ2か月間
で学んだこと、気づいたこと、考えたことを「書く」ことに
よって、それが記録として残るし、他の参加者のレポー
トを読むことによって、さらなる気づきと学びの深まりが
あります。
こうした努力は、いずれも労力が必要で、はっきりいっ
てめんどうくさい側面もあります。しかし、これをやらな
ければ、「集まって学んでいる」という集団学習の魅力
を生かしきることはできません。
集団学習の魅力が発揮されれば、「学ぶこと」という
最大目的の効果もアップする、というのも、私の実感
です。集団学習の魅力を磨き続ける努力は、多くの労
力が必要な課題ではあるけれども、そのことがもたらす
効果は無限大といってもよいと思います。
最後に、問題意識を一つだけ述べると、いまの学習
運動や民主勢力の運動のなかで「労働学校」だけが
突出して成功する、ということはありえない、ということ
です。
職場や地域で、労働運動のなかで、魅力的な学ぶ
集団づくりがすすんでこそ、労働学校の募集もすすむ
し、魅力もより発揮されると思っています。『学習の友』
の学習会なども、どんどん広げていく必要があります。
学習運動全体のなかで、労働学校の位置づけを明
確にしつつ、「運動全体の前進なくして、労働学校の
発展もない」ということを自覚して、今後も努力してい
く必要があります。
私は、冒頭に19歳で労働学校に関わりはじめたと
述べましたが、その当時から、今まで、活動の原動力
の本質は変わっていません。それはひと言でいえば、
「人が変わる喜び」です。
もちろん、社会変革の運動のなかでの労働学校の
役割も十分に自覚しつつ、でもこの運動のいちばんの
やりがい、おもしろさは、人が変わっていくことに関わ
れる、手助けができたという喜びです。そのことをこれ
からも私の原動力としながら、奮闘していきたいと思
います。
以上。
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