きょう夜の学習会の準備で、ちょっと眺めておこうと思って、
『乾孝幼児教育論集』(風媒社、1972年)
の、
序章「子どもとは何か」を、さっき読みました。
さすが乾孝(いぬいたかし)さん!
と思いました。
ちなみに、辞書のように分厚い本です。
つい最近、古本で安く買いました。
とりあえず今日は序章のみですが、
この夏、ぜんぶ読みたいと思います。
学習運動においても大事だなあ、という「ものの見方」が満載。
以下、序章だけですが、メモメモ。
「現実の子どもをしっかりと見つめた上で、教育の
目標をさぐりあてようとするときに、現在目の前に
チラチラしているあれやこれやの子どもたちの言動の
底にひそむ可能性を見ぬく手がかりとして、科学的な
児童像が必要になってきます。それは、面と向かって、
そのときその場で感じたナマな実感でもなく『子ども
というものは・・・』と思ったときに、まるでそうあるの
こそ当然であるかのように頭に浮かぶイメージの
実像でもなく、それをいちど突きはなしたところに
なり立つ、科学的な、実践的な児童像でなければ
なりません」(13P)
「科学の業績を利用することは、科学者(書?)の
権威に屈することではありません。自分たち自身の
ために自分たちを見なおす方法を使用するという
ことなのです。
そういう意味で『子どもとは』というような、まるで
日常の実感で片のつきそうな問題を考える上でも、
実感をぬけて実感にもどる操作を怠ってはならない
と思うのです。あなたと子どもたち、あるいは子ども
たちに関する常識との偶然的な出合いを機縁にして
生じた実感的子ども像を、科学的な反省によって
そのゆがみを正し、さらにこれをもう一度、自分と
子どもとの取り組みの中で、まさに自分自身の借り
物でないビジョンにまで肉づける努力が必要だと
いわなければなりません」(15P)
「現状をそのまま認めるという形は、当然歴史的な
発展にまでは眼を向けないということですから、
子どもたちはけっきょく、現在のオトナのところまで
追いつけば、そこが終点だという見方になって、
子ども=未熟なオトナ説に近い子ども観におちいる
ことにもなります。少なくとも、現在のオトナを基準
にして、子どもを裁く立場だといわなければなりま
せん。
ところが、教育者は将来の社会人を育てる役目を
もっているのですから、心理学者のように超歴史的
な角度に抽象された『子ども』のイメージにとどまって
いることはできないのではないでしょうか? わたしは、
心理学者として、『子どもとは? の問いに答える
科学は児童心理学』という俗説に強く抗議しないでは
いられません。たとえば歴史学はもっと重視される
べきです。
教育という営みの中で、子どもの成長をみるとき、
子どもたちは、単なる生物としての『ヒト』の子ども
ではなく、歴史のにない手であるべきでしょう。教育
者は、現在までのわれわれの達成を子どもたちに
受けつぐのですが、それは、われわれの現在立って
いるところを乗り越えることができるようにするため
です。いいかえれば、わたしたち以上の主権者と
して自分をふくらませ、社会に寄与できる者を育て
ようとしているのです。
単に未熟なのではなく、自分たちで自分たちを
乗り越える可能性を、より多くもっているものとして、
子どもは性格づけられるべきではないでしょうか?」
(16~17P)
「児童を叱るということも、児童たちの未熟な注意力、
良心を代弁することなのです。『叱る』という外見上は
同じ形が、教師の都合に児童を従わせる場合と、
子ども自身の未だ自覚できないところを代弁するの
とで、まったく構造が違うということ」(20P)
「子どもたちの自我や自分というものについての
イメージも、考える力の支えも、みんな、外から
やってきたものなのだということ。教えられたものが、
主体として彼の中核になるのだという事実は、
子どもの『自発性』というようなことを考える上で、
基本的にたいせつなこと」(21P)
「オトナは、しばしば、自分が目的意識をもって
教えたこと(おしえたつもりを記憶していること)
以外をすべて『生れつき』のせいにしたがるもの
です。口先では、『ウソをついてはいけません』
としつけながら、日常オトナのつき合いの便宜上の
ウソのつき方を、いつの間にか子どもに仕込んで
しまった母親が、『そんな教育をした憶えはない
のだから、この子のウソツキはおバアちゃんの
遺伝に違いない』などというような例は少なくあり
ません。ですから、『自然に』出現したようにみえる
ものも、その大部分は、生れてから見よう見マネで
学習したものなのです。『やっぱり女の子ね、きつ
いようでもお人形が好きで・・・』などというのも
女性の『本能』であるよりは、その社会の習慣が
浸み込んだものにすぎません。子どもの、まさに
その子自身の欲求も、彼が彼のなしうる能力に
よって認知したものを機縁にして生ずるものなの
です。
ですから、子どもの『意欲』が中から『自然に』
生じてくるのを待つのはまちがいです。しかし
『意欲』を直接教えようとするのもまちがいでしょう。
オトナは、彼の認知を組織化すること、困難をのり
こえる能力の開発を助けることができるだけです」
(25~26P)
「人格を尊重することは、彼の発展可能性に重点を
おくことなので、彼の一時的な衝動を甘やかすことは、
やがてはそれを自制しうるところまで成長するはずの
彼の可能性を無視する態度、したがって人格軽視に
連なる」(27P)
「『個性』とは仲間と共通性のないことだとか、『独創
性』とは、外と関係なしに内部から突然噴出してくる
ものだとかいうような見解・・・(略)これらは、いずれも、
人間をバラバラの生物とみなす立場からでたもの
・・・(略)まわりの仲間にとっても、当人にとっても
たいせつな一人一人の個性とは、仲間たちのチーム・
ワークの中で受けもつその人独自の持場、持場の
充たし方なのです。また、独創性とは、無から生ずる
夢ではなく、ほかの人たちから受けついだものの、
あたらしい組み合わせです」(31P)
「マカレンコは、子どもの人格を尊重することは要求
することだという意味のことをいっています。子ども
たちのそのときどきの偶然的な気まぐれを『尊重』
することは、子どもの人格に対する軽視です。お前は、
そこからぬけ出る力がないとキメつけることだからです。
人格としての子どもは、そのときの気まぐれをやがて
乗りこえる可能性をもっているはずですから、人格
としての子どもを尊重すれば、当然、彼が現在の弱さ
をこえるように要求しないではいられないはずでしょう。
個性の確立も、そのような要求との対決をくぐってこそ
可能なのです」(32P)
ふとめしんどさんありがとうございます☆
そうですか~、生いぬい、1度あるんですね。うらやましい!
私も、この前の労教協の総会で、高田たんのことを聞き、
あー、とショックを受けました。
21世紀の高田、乾を、
わが陣営はたくさんつくりださないといけないですね。
私も微力ながらその一端を担いたいという決意です。
投稿情報: 長久 | 2011年7 月 3日 (日) 09:11
ボクもノックオンさんと同じ。
弁証法や唯物論といったものの考え方をいぬい・たかしさんと今年2月になくなった高田求さんを媒介にして理解しました。古典だけではわからなかったと思います。
いぬい先生は1回だけ授業に出ました。朝8時30分からの1限で、単位にもならなかったため、2回目からはでませんでした。もったいないことをした…。でもその1回で乾先生の本を読むと声が聞こえてきます。
おととい労教協におじゃまして高田さんがなくなったと聞いてショック。パーキンソン病とたたかっていることは知っていましたが…。これでボクの哲学の師匠はすべて亡くなってしまいました。
芝田進午、嶋田豊、高田求の3氏が1930年生まれ(たぶん)。法政で習った中易一郎(須賀三郎)先生が1927年生まれかな。
その前の世代(たしか1900年前後生まれ)、古在由重、戸坂潤、真下信一。
いぬいさんは、心理学者ですが、ボクにとっては哲学のてほどきをしてくれた人。
亀岡さんという先輩が「自分のつぎに乾先生の鎌倉の自宅で暮らさないか」と誘ってくれたのですが、自宅が伊勢原でしたから、断りました。いまにしてみれば惜しいことをしたものです。
この8人の仕事がボクの哲学のベースです。
投稿情報: ふとめしんど | 2011年7 月 2日 (土) 21:37
ノックオンさんありがとうございます☆
『私の中の私たち』『みえない私たちとの出会い』は、私ももっています。
バイブルのように読んでいたんですか~!
そしてたしかに、最近こういう内容の学びの提供はないですよね。
悲しいです。
投稿情報: 長久 | 2011年6 月29日 (水) 16:25
乾孝先生の本は、民青時代、『私の中の私たち』をはじめ、『みえない私たちとの出会い』や『表現・発達・伝えあい』『信頼の構造』など、なかばバイブルのようにして読んでいました。いまでも、自分の活動のベースにあります。いま、こうしたことを語ってくださる方がいらっしゃらないというのは寂しい限りです…
投稿情報: ノックオン | 2011年6 月29日 (水) 11:51