土曜日(9日)は、PPO(ピースピースおかやま)の
「日帰りヒロシマ碑めぐり」に参加してきました。
参加は大人(みなわかもの)8名、子ども1人の9名。
2台の車で広島に向かいました。
11時ちょうどぐらいから、碑めぐり開始。まずは原爆ドームから。
ちなみに、碑めぐりの解説は岡山県平和委員会のT口さんが
してくれました。
ドーム前では、新日本婦人の会のみなさんが、
原水協の新署名を集めていました。おつかれさまです!
爆心直下の島外科病院。
原爆の子の像(佐々木貞子さん)
この日は、
とても晴天でした。
暑かった。
原爆死没者慰霊碑。
峠三吉詩碑のまえで。
原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑。
足元には、岡山の津山市の小学生たちの折鶴が添えられていました。
祈りの泉。
「水」は、「あの日」の広島では、特別なものでした。
嵐の中の母子像のまえで。
手前の子どもはI原夫婦の息子さん。私はもう何回も会っているので、
個別認識があるらしく、「けいたくん」と呼んでくれます☆
今回じっくり見て初めて気づいたのですが、この母子像の
母親の手がとても大きい。子どもを抱える手の意味を考えました。
紹介はしませんでしたが、他にもいくつか碑を見ています。
約1時間半の碑めぐりでした。
この暑さでは、これが限界の時間かも・・・。
冷房のきいた原爆資料館のロビーで簡単な感想交流をして、
午後は自由時間となりました。
各自、買い物などしていたようです。
さて、私は午後、
ひとりで北の方面へ。
原爆ドーム前から市電に乗って、横川駅へ。
横川駅付近で昼食を食べました。
その後、可部線に乗ってひと駅、三滝駅で下車。
めざす目的地は、三瀧寺(みたきじ)。初めて訪れる場所です。
歩いて三瀧山へ向かいます。
ここも、原爆のことを考えることができる場所なのです。
私は、広島に行ったときは、時間があれば、
まだ行ったことない場所をできるだけまわるようにしています。
去年来たときは、
広島赤十字病院・原爆病院や御幸橋(みゆきばし)に行きました。
(そのときの様子は こちら です)
三瀧寺に向かう途中に、
市営三瀧墓苑があるのですが、そのはずれに、このような
木札がありました。
「ここは原爆のため 無縁となられた方々の お墓でございます
どうか御参拝下さいませ 合掌」
これは、市内各所の墓地から、一家全滅などで供養する人の
なくなった墓を集めたものだそうです。普通なら、無縁墓は
処理されるのですが、原爆によって無縁になったという事情を
考慮して、1957年にここに集め、市で管理をしているそうです。
無縁墓の集まった目の前に立つと、せまってくるものを感じました。
なんでだろうと考えていたのですが、
もちろんこのお墓の配置や数もすごい光景だなと思ったんですが、
やはりお墓なので、「○○家之墓」「○○家之墓」って書いてあるのです。
やはり、「○○人」という数ではなくて、こうして固有名詞をみることで
より伝わってくるものがあるのだと思いました。
原爆によって、一家全滅してしまった人々の無念は、
どんなだっただろうかと。
しばらく歩いて、ようやく三瀧寺の参道入口に。ふいー、暑い。
三瀧寺は、「被爆建物」として残されているものがあります。
爆心地から3,180メートルで、谷間にあったことも幸いしたそうです。
しかしそれでも、本堂は倒壊してしまい、現在の本堂は1969年に
再建されたものそうです。
本堂周辺のいくつかの建物は、原爆に耐えて残り、
被爆建物として残されています。
これは想親観音堂(たぶん)。これも被爆建物です。
このお寺の参道には、たくさんの原爆碑や供養塔、
石仏、歌碑や句碑があります。
この写真もそうで、原爆に関わる詩が碑に刻まれていました。
これもそうで、合同歌碑。原爆から33年のときに、
33の歌を集めて建てられたものだそうです。
一つひとつの歌を詠むと、家族や家を奪われた原爆への怒り、
平和や尊い命への想いが伝わってきます。
ぼくたちはヒロシマの鳥
いっせいに羽をひろげて
黒い灰となっても
なお語りつづけたい
平和を 命の尊さを
この三瀧寺は、その名のとおり、すぐ近く(というか参道のまわり)に、
水源の違う3つの滝が流れているのであります。
これは三之瀧「駒ヶ瀧」。
この鐘楼も、被爆建物です。
緑豊かで、
水の流れる音がいつも
聞こえて、
歩くのが心地よい
参道でした。
涼をとるにも、
いいところです。
涼しかった。
二之瀧
「梵音之瀧」
あじさい。
紅葉の季節なら、また特別にすばらしいと思います。
本堂。
本堂の真下にも、
小川が流れていました。
ここはほんとうに、
水流れるお寺です。
本堂の少し上に、一之瀧「幽明之瀧」がありました。
なかなかの水量でした。
ちなみに、この三滝山の周辺は、被爆直後に、
たくさんの黒い雨が降ったとことです。
北西の方向が、
とくに雨がたくさん
降ったと言われています。
三滝山もすっぽり
入っています。
三瀧寺は、周辺住民の避難先に指定されていたので、
被爆直後から、避難者・負傷者が殺到し、
お堂はもちろん、参道にまで被爆者があふれたそうです。
証言も残っていて、いま訪れると、滝や小川の
きれいな水に心洗われますが、
黒い雨が降ったときは、水が真っ黒い流れになって
いたそうです。
参道や小川をみながら、「あの日」の惨状のことを
想像してみようとしますが、やはりなかなかですね。
簡単に想像できるような情景ではなかったと思います。
ほんとうに、
美しい参道でした。
参道めぐりを終え、ふたたび駅に向かって帰ります。
ちょっとだけ広島の街が見えました。
爆心地から約3キロ。
人びとが逃げて、助けを求めて、上がってきた道。
三滝駅から、太田川が見渡せました。
16時前に、ふたたび原爆ドーム前に集合し、
岡山へ帰りました。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。