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  • 2013 哲学がっこう
    4月14日(日)10:00~17:00 岡山市勤労者福祉センター。参加費2,000円(学生1,000円)。定員35名。科学的なものの見方の基本である、唯物論と弁証法をまる1日かけて学びます。講師はわかりやすさで定評のある中田進さん(関西勤労者教育協会副会長)です。

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2012年5 月14日 (月)

コメント

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長久

ひとつ言えるのは、「その人の記憶」
「一緒に生きた時間」「自分のなかでのその人の存在」はなくならない、
ということだろうと思います。

お墓の前にいけば、その人と対面し、
心のなかで対話する気持ちになる人も多いと思います。

私の家の近くには「人間裁判の碑」がありますが(お墓ではないですけど)、
やはりその前にいくと、朝日茂さんの前に立っているような気持ち、
そして朝日さんに語りかけるようなことって、あります。

意識の能動性ですね。

まあ、お墓・納骨・墓地については、
もっといろんな意味があると思いますが。

路傍の人

お墓についての唯物論的解明に取り組んでください。唯物論は死後の世界を認めませんからその立場に徹すれば「死者との対話」なんて成り立たないはずです。しかし多くの唯物論者が墓参りをしたり、無名戦士の墓をつくったり、小林多喜二など有名人の墓前際をやったりするのはなぜか。そこには「遺骨置き場」以上の意味があるからですよね。こういう問題を解明できれば、唯物論は人間味あふれる世界観としてもっと多くの人に受け入れられると思います。

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