ソワニエ読書日記本、3冊目と4冊目。
今週は2冊読みました。
以下、つぶやきメモ。
『1リットルの涙-難病と闘い続ける少女亜也の日記』
(木藤亜也、幻冬舎文庫2005年)
【読んでの、つぶやきメモ】
*15歳で発症。徐々に徐々に進行する病。「できないこと」が増えてくる。
*さまざまな喪失。揺れ動く心。周囲のさまざまな反応。
*読書が生きる力を支えたもののひとつ。そして日記を書き続けた。
*だんだん希望という光が小さくなっていく。読むのはツライ。
*治らない病気の人を、何が支えるのか。
*闘病記は、できるだけたくさん読んだほうがよいです。なぜか。
・病気による「苦しみ」「痛み」「喪失感」は、とても個別性が
高い(そして目に見えない)。それを言葉で表現してくれている。
・患者の立場にたつことの難しさを、教えてくれる。
・先入観や思い込みに陥らず、「あなた」の苦しみを
理解しようとする立場に
・過去のソワニエの授業で紹介した「闘病記」のなかでのオススメ
『ベットサイドからケアの質を問う』
(吉田恵子・川島みどり、看護の科学社、1997年)
『いのちの授業-がんと闘った大瀬校長の六年間』
(神奈川新聞報道部、新潮社、2005年)
『寡黙なる巨人』(多田富雄、集英社、2007年)
『ママでなくてよかったよ』(森下純子著、朝日文庫、2003年)
『がんばれば、幸せになれるよ
-小児がんと闘った9歳の息子が遺した言葉』
(山崎敏子、小学館、2002年)
『妻を看取る日-国立がんセンター名誉総長の喪失と再生の記録』
(垣添忠生、新潮社、2009年)
『お墓めぐりの旅』(新井満、朝日文庫、2010年)
【読んでの、つぶやきメモ】
*これは面白い本でした。オススメ。
さまざまな人の「お墓」を訪ね歩くエッセイ。
*著者は「千の風になって」ブームの火付け役。
「墓参り」のイメージが変わります。
「お墓とは、死者と生者の接見の場所、ミューティング・
スポットなのだ、と私は考えている。死者と対話したく
なったなら、墓地に出かけよう」
ひとつ言えるのは、「その人の記憶」
「一緒に生きた時間」「自分のなかでのその人の存在」はなくならない、
ということだろうと思います。
お墓の前にいけば、その人と対面し、
心のなかで対話する気持ちになる人も多いと思います。
私の家の近くには「人間裁判の碑」がありますが(お墓ではないですけど)、
やはりその前にいくと、朝日茂さんの前に立っているような気持ち、
そして朝日さんに語りかけるようなことって、あります。
意識の能動性ですね。
まあ、お墓・納骨・墓地については、
もっといろんな意味があると思いますが。
投稿情報: 長久 | 2012年5 月15日 (火) 10:50
お墓についての唯物論的解明に取り組んでください。唯物論は死後の世界を認めませんからその立場に徹すれば「死者との対話」なんて成り立たないはずです。しかし多くの唯物論者が墓参りをしたり、無名戦士の墓をつくったり、小林多喜二など有名人の墓前際をやったりするのはなぜか。そこには「遺骨置き場」以上の意味があるからですよね。こういう問題を解明できれば、唯物論は人間味あふれる世界観としてもっと多くの人に受け入れられると思います。
投稿情報: 路傍の人 | 2012年5 月14日 (月) 22:02