きょう、5月12日に学習会講師で行った
愛労連特別セミナーの感想文が届けられました☆
ありがとうございました!
私の担当した講義「ものの見方」も、
おおむね好評だったようで、良かったです。
参加者の受けとめから、学ぶことも多いので、
感想文をちゃんと書いてもらうと、ひじょうに助かります。
ところで。
感想文のなかに、
「講師が班討論に入らなかったのが疑問」
という声がありました。
この愛労連特別セミナーでは、3本の講義のあと、
必ず班に分かれての討論時間がありました。
で、私は入らなかったんです。
「入らないことにしていますので」と言って。
岡山労働学校でも、講義のあとの班討論には、
講師は入らないことにしています。
部屋のすみで待機です(笑)。どんな講師でも。
もちろん、班討論に入れば、参加者の直接の
感想を聞けたり、職場や活動のリアルな話も
聴けて、有益なところもあると思います。
でも、私は講師が班討論に入らないことを推奨しています。
いろいろ理由はあるのですが、
最大のものは、
講師が入ると、講師中心の班討論になる傾向が
どうしても強くなる、ということです。
もちろん、「聴くこと」に徹する講師もいますが、
それでもどうしたって、
討論のなかで、講師にたいする質問や感想が
出て、後半はほとんど講師と参加者のやりとり、
ということになりがちなのです。
この傾向は、ぜったいになくすことはできません。
だって、講師が参加しているんですから。
このことは、参加者どうしのフラットな関係性の
なかでの自由な討論という雰囲気に、必ず影響します。
「講師がいるから言えないこと」って、ぜったいに
あるんですよ。かならず遠慮が生まれます。
私は、そのことを経験から実感していますので、
班討論には入らないことにしています。
他にも、
*講師が入ることによって、1人ひとりの発言時間が
わずかでも少なくなってしまう。
*講師とのやりとりで深められる部分はもちろんあるが、
それはその班だけのことで、他の班との不公平感が生まれる。
なども理由に入ります。
班討論は、参加者が主役であり、
おたがいに話しあい、学びあい、気づきあう場と時間です。
そこに講師は必要ない、というのが私の考えです。
まあ、異論はあるかもしれませんが、
岡山の学習運動は、これからもこの方法でやっていきますよ☆
私も長久くんと同じ考えです。
絶対講師ー受講者の構図になっちゃう。そうなると、せっかくの討論も面白く亡なくなります。
投稿情報: あんみつ | 2012年6 月 7日 (木) 13:28
僕も長久さんに同意します。講師に聞きたいことがあれば後で質問すればいいですし。
というよりも、討論すること自体に意味がある。若い人(日本の場合は特に)は討論の経験が乏しいため、講師の話を受けて、自分の考えや、感じたことをみんなでわかちあうという経験をしたほうがいいと思います。講師がそこに加わることで、討論の妨げになる可能性が少しでもあるなら、避けるべきです。
投稿情報: ゆみた | 2012年6 月 7日 (木) 09:20
まあそんなにムキにならずに討論に入ればいいのに。生徒さんの発言を抑えてしまわないように隅っこの方で聞いていればいいのですよ……。
投稿情報: 路傍の人 | 2012年6 月 6日 (水) 23:27