雑誌『経済』9月号がきのう届いて、
まだぜんぜん読んでいないのだけれど、
92・93ページに、
二宮厚美著『新自由主義からの脱出』の
「書評」を書いている唐鎌直義さんの指摘に、
「おおいに共感」するところがあったので、
ここに紹介したい。
ちなみに、
9月号は、「財界・大企業と内部留保」という特集であり、
さまざまな角度から「内部留保」を深めるものとなっている。
ぜひ一読をオススメしたい。
共感したのは、以下の部分。
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本書に関して、異論は皆無というわけではない。それ
は、新自由主義の国民一般への浸透をどう考えたらよ
いのかという点である。新自由主義の浸透は、生活保
護受給者に対する昨今の嵐のようなバッシングとも
深くかかわっている。「福祉は本当に困っている人を
助けるためのものである」とか「働けるのだったら福祉に
頼らずに働けばいい」という意見の広がりをどうやって
克服していくべきか。それが問われている気がしてなら
ない。新自由主義は竹中平蔵氏や大竹文雄氏、八代
尚宏氏、鈴木旦氏などの「どこから見ても骨の髄まで
新自由主義者」だけでなく、資本主義社会で生存競争
に曝され続けてきたが故に所与の価値観としてそれを
疑問視できない人々(庶民)のものでもある。もちろん、
生活保護バッシングに対抗するなかで新自由主義から
脱しつつある人々も増えてはいるが、「福祉は本当に
困っている人を助けるためのものである」という福祉の
効率主義を批判するまでには至っていない気がする。
ましてや「働けるのだったら福祉に頼らずに働けばいい」
という主張に関しては、真面目すぎるほど真面目な日
本人が共有している価値観ではないか。著者の鋭い
批判の矛先は「わかりやすい新自由主義」に向けられ
ているのだが、薄く広く共有されている「なんとなく新
自由主義」の庶民を、どう説得していくべきか。それが
解決されないと、「新福祉国家」という方向性も仲間内
の議論に終わりかねないのではないか。
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まあ、私が学習運動の専従者という、運動家の
立場であるということも、この指摘に強い共感を
おぼえてしま理由なのだろうけれども。
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