今日(2/14)は、朝日訴訟(人間裁判)をたたかった、
朝日茂さんの命日です。
朝9時から、早島町の人間裁判の碑の前で、
「碑前祭」が行われました。
私の自宅から徒歩5分の近いところにあります。
天気が良くてよかったです。
5月には、早島町で、朝日訴訟の学習企画を
行うそうです。詳細決まったら、またお知らせします。
朝日さんの生誕100年・没後50年のふしめの年ですからね。
人間とは何かー。
いま、まさにそれを問わなければなりません。
重度の結核患者であった朝日さんが、
その命を燃やし尽くして、伝えたかったこと。
それは、「だれもがもっている人間らしく生きる権利」。
そして「権利はたたかうものの手のなかにある」ということ。
憲法25条に、命がふきこまれたたたかいでした。
いま、社会保障が根本的に変えられようとしているこのときに、
この裁判闘争から学ぶことは、
大きな意味があると思っています。
朝日さんは、「学習」をたたかいの(もっと言えば生き抜くための)
エネルギーにした人でもありました。
ほんとうに、すごい人なんです。
以下、『人間裁判―朝日茂の手記』(大月書店、2004年)
からの引用です。
「見舞いに来てくださる人がよく私に、『朝日さん、1日
じゅう、じっと寝ていたら、さぞかしたいくつでしょう』といっ
てくださる。が、それは私の生活の実情をよく知らないか
らである。私は夜がきて日が暮れれば、早く夜が明けれ
ばよいと思うくらい、毎日毎日が忙しいのである。
行政訴訟を起して、巨大な国家権力を相手に闘おうと
すれば、なみたいていのことではないのである。勉強し
学習しなければ、とうてい闘うエネルギーは湧いてこない
のである。政治、経済、法律、文化と、つぎからつぎへ勉
強していかなければならないことを、私は今度の闘いを
通して痛感した。いまの私の体力では、勉強するのに大
きな制約を受けるのである。じっと本を読んでいると、胸
の中がしだいに熱くなってくる。胸の侵されている病巣部
に充血してくるのであろうか。そんなあとまもなく血痰が、
にじむように出てくることがしばしばある。私は読みかけ
た本を中途でやめてじっと寝る。
このようなことがくりかえされてきたのである。血痰の
出ない日はどのくらい気分もよく、嬉しいかわからない。
好きな本が読め、手紙も思うぞんぶん書けるからである」
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