最近読み終えた本。
すべて社会進歩と女性講座のためのもの。
『骨が語る古代の家族-親族と社会』(田中良之、吉川弘文館、2008年)
『万葉恋歌』(永井路子、角川文庫、1979年)
『家族の古代史-恋愛・結婚・子育て』(梅村恵子、吉川弘文館、2007年)
『中世に生きる女たち』(脇田晴子、岩波新書、1995年)
『家族と結婚の歴史』(関口裕子・服藤早苗・長島淳子・早川紀代・浅野富美枝、
森話社、1998年)
『女と男と子どもの近代』(長谷川まゆ帆、山川出版社、2007年)
『中世の家と性』(高橋秀樹、山川出版社、2004年)
がんばればもっと読めたと思いますが、
うーむ、もう1歩努力ができませんでした。
とりあえず、これで2回目の講義にのぞみます。
一番勉強になったのは、『家族と結婚の歴史』ですかね。
まあ、古代・中世・近世のことは、歴史学習をさぼっていた
おかげで、理解するのに苦労しています。
なんとなく雰囲気はつかめたように思いますが。
しかし、こうして勉強してみて、
あらためて思うのは、エンゲルスのつぎの言葉です。
「問題を唯物論的に取り扱おうとするあなたの試みについ
ていえば、なによりもまずこう言わなければなりません。
唯物論的な方法というものは、歴史的研究をするさいに、
それが導きの糸としてではなく、史実をぐあいよく裁断する
ためのできあいの型紙として取り扱われると、その反対物
に転化する、と。・・・
私は、頭からきめてかかるまえに、むしろ根本的に事に
つうじることのほうを選びます」
(エンゲルスからパウル・エルンストへの手紙 1890.6.5)
『家族・私有財産・国家の起源』や、不破さんのテキストを
金科玉条のようにかかげて、これを勉強すればいいんですよと、
そして女性の歴史はこうですよと講義をすれば、それは
簡単です。でも、たぶん、それでは面白くないだろうし、
唯物史観の反対物に転化してしまう危険もあるかなと。
「根本的に事につうじる」ための努力は、
たいへんですけどね…(涙)。
今回も、不勉強だらけで、恥ずかしい講義をしています。
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