きのう(23日)の晩は県立図書館の多目的ホールで、
岡山県安保破棄実行委員会の主催による、
「50年目の安保学習会」が行なわれ、参加してきました。
学習会のテーマは、
「安保半世紀-戦争への
傾斜と運動の課題」
ということで、
県平和委員会名誉会長の
中尾元重さんが講演しました。
中尾さんは、じつは学習協と同じフロアに
平和委員会が入っているので、ほぼ毎日のように
顔をあわせる間柄であります。
はっきりいって、わたしく、中尾さんを敬愛しております。
平和運動ひとすじに活動をされてきて、
理論的蓄積も、ものすごいものがあります。
そして、講義にはいつも完璧に近い(私からみると)、
緻密な資料を準備してのぞまれるのであります。
いきあたりばったり、思いつき話の多い、
私の講義とは雲泥の差であります。
この日も、10ページにわたる詳細なレジュメと
さらに膨大な資料。
話の中身も、数々の発見がありました(詳細ははぶく)。
また、あまり知られていませんが、
いまは第一級の平和運動家として知られている
中尾さんですが、少年時代は、生粋の軍国少年でした。
学習協で5年ほどまえ、中尾さんのそうした戦争体験を
語ってもらおうと「一軍国少年の証言」という学習会を企画しました。
お話の内容に、たいへん感銘を受けたことを覚えています。
15歳で終戦をむかえた中尾さんが、終戦の報を聞いたその晩、
「これからの日本はどうなるのか?」と必死に考え、
書き綴ったノートの最後には、こういう内容が書かれていました。
「とうとう陛下の決断が下された。これ以上の悲しみがあろうか。
聖戦はついに目的を達することなく終わってしまったのだ。臣民
としてどんなに悲しく辛いことか、それは天をも突き刺すほどで
ある。悔し涙が出て、止まりそうにもない。陛下もわれわれも敵
国に辱められ、国の運命は、今大きく変わろうとしている。国の
ために身命を捧げようとする者は誰だって敵愾心がある。それ
がないなどと、どうしていえようか。わが日本は、(国難に際して)
必ず神がみそなわす国柄なのだ(いまに見ておれ)」
いまの中尾からは、まったく想像できない、
軍国教育を受けた少年の姿がそこにありました。
また、終戦の日前後に、わずか生後10か月の弟さんを
栄養失調で亡くされたこと、そしてお母さんの悲しみについて、
声を一瞬つまらせながらお話された姿は、
今もはっきりと思い出されます。
そうした痛切な戦争体験が、中尾さんの平和活動家としての
原点なのであります。
だから、本気さがやっぱり違うのです。
この日も、本気のお話でした。
気持ちが伝わってくるんですよね。
さて、安保の話も少し。
学習会を聞きながら考えていたこと。
この夏の選挙で、政権の交代がおそらくは
あるだろうと思われます(最近の自民党の右往左往ぶりはなんとも見苦しい)。
しかし、民主党は安保条約を廃棄するつもりはもちろんありません。
安保をなくせと言っているのは、残念ながら共産党しかいません。
(社民党も最終的には安保をなくすという政策をもっているようです)
安保条約をすぐになくせるという展望はありませんが、
ただ、これまでの自民党政権でなされてきた、
安保条約さえも飛び越えた、安保の再定義や、米軍への税金投入、
自衛隊の海外派兵、地球的規模での日米軍事同盟の強化という点では、
国民の運動次第ですが、変化はつくれると思うのです。
「自衛隊らしい自衛隊」にすることも可能だと思います。
民主党は、安全保障政策でも、まったくバラバラな政党です。
明らかに護憲の議員もいれば、ふらふらしている人もいる。
靖国大好き、自民党以上にタカ派の議員もいます。
したがって一枚岩ではない。国民の世論や運動次第で、
民主党にプレッシャーをかけ、安保条約の運用や日米同盟のあり方にも
変化をつくれるのではないかと思います。
そのためには、国民のなかに、そうした
世論を大きくしていくことが必要です。
「安保」はオカタイ課題ではありますが、
こうした学習会を地域で地道に組織していく
ことが大事だなと、あらためて考えました。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。