最近読み終えた本。
『13歳からの「いのちの授業」』(小澤竹俊、大和出版、2006年)
ソワニエ読書日記13冊目、
ホスピス医の先生の本です。
すごく自分のなかで整理がついた図があって、
人間にとっての「生きる支え」になる3つの柱の話。
*時間の柱…夢や目標
*関係の柱…その人を取りまく人間関係
*自律の柱…自分でできる選択の範囲
3つの柱が安定していれば、
その人の生活や生き方も安定します。
しかし、柱が折れたり、ゆがんだりすると、
人は支えを失い、グラグラと不安定になります。
自分はどんなものに支えられているだろう。
まわりに、どんな支えとして役立てているだろうか。
そんなことを考えました。
人間はひとりでは生きていけない。
そのあたり前の大前提から出発していて、
とても共感できる話が満載です。
やっぱり、「医」は「哲学」だなぁ。
『死ぬのは、こわい?』(徳永進、理論社、2005年)
大好きな徳永医師の本。
ソワニエ読書日記14冊目。
こちらも青年向けに書かれた
生と死の話。
夢二くんという架空の中学生と、
徳永先生が一緒になって、診療所でおきる出来事、
患者さんとのふれあいや
患者さんが生活する地域について考えます。
「命っていうのはね、どう生きようかって頭で考えて
いようがいまいが、とにかく拍動してるもんでね、
そこに命の泉みたいなものがあって、そこで湧いて
いる限り、命は在るよ。ダ液だって湧く、ムラムラと
した気持ちだって湧く。あの人に会ってみたい、あ
の山に登ってみたい、海にもぐってみたい、旅に出
てみたい、何でもいい、湧けばどれだって、すごい
命だよ。だって湧かなくなるんだ、誰でも。人でなく
ても動物でも植物でも。命って湧くっていうこと、死っ
て、湧かないってこと、だよ、違う?」
『死の中の笑み』(徳永進、ゆるみ出版、1982年)
その徳永先生が初めて書いた本。
33歳のときだというから、
そのことにまず、心底驚きました。
33歳にして、この感性と洞察力と、
医師としての力と眼。恐れ入りました。
徳永先生の本は、いつもですが、
内容は、ほぼ患者さんの話。
患者さんの生活、労働、地域という
背景をつかむ視点も豊か。
人をどうみるか、見習うべき姿勢です。
『広島第二県女二年西組-原爆で死んだ級友たち』
(関千枝子、ちくま文庫、1988年)
広島の被爆の実相で、長崎との違いの
ひとつは、建物疎開作業に動員された
学徒たちの悲劇です。
本書は、8月6日の「あの日」、下痢のため
作業を欠席して死をまぬがれた著者が、
1人ひとりの遺族やその関係者を訪ね歩き、
クラス全員の「生」と「死」について綴った
1冊です。
原爆は、「何万人死んだ」という、「数の大きさ」で、
その被害をとらえる向きがありますが、
私はやはり、
「1人ひとりの人間の上に、原爆が落ちてきた」ということを、
強調していきたいと思います。
著者の調査の執念が、すさまじいです。
どれだけの苦労があったのか、心痛があったのでしょうか。
「自分だけ生き残って…」という負い目をどれだけ背負って
生きてこられたのでしょうか。
級友たちの「死」、そして自分の「生」。
被爆者の思いにもふれられる本だと思います。
最後の「原爆と靖国」も必読です。
広島の被爆者は誰も靖国には入っていないと思ってたんですが、
建物疎開の作業中に被爆死した教師や学徒は、
入れられてるんですね…。
「天皇のため、お国のために働いていたから」なんでしょうか。
英霊ですか…。悲しい響きです。
『ヒロシマ、遺された九冊の日記帳』(大野允子、ポプラ社、2005年)
これも上で紹介した関さんの本と
性格が似ています。建物疎開学徒の話です。
こちらは「第一県女」。
13歳、14歳の少女たちの「生と死」です。
遺されていた9冊の日記帳には、
学校生活への期待、家族への思い、
日常生活などが少女らしい目線で
つづられています。
軍国教育や戦争の色合いが濃く、
その影響がみられますが、自分を伸ばそうという気持ち、
家族へのいたわりなどが、日記から伝わってきます。
そんな家族生活、学校生活を送っていた彼女たちが、
8月6日、突然、その生を断ち切られるのです。
前半の日記を読んだあとに、彼女たちがどんなふうに
殺されていったのかを読むと、苦しく、
涙をぬぐいながら読みました。
************************
建物疎開に動員され、死んでいった学徒の本を2冊読んで、
私は、今年読んだある本が、頭をよぎりました。
それは、
『デス・スタディ-死別の悲しみとともに生きるとき』
(若林一美、日本看護協会出版会)です。
そこには、愛する人、大切な人との突然の死別が、
いったいどういう心の傷を、残された人に与えるのか、
ということが書かれていました。
死別や喪失によって生じる感情を“Grief”グリーフ(悲嘆)と呼びます。
「ある人は、死別による悲しみをさかんに話したがり、
またある人はうち沈み、沈黙する。人によっては、今
までと変わらないふるまいをすることで、悲しみを自
分の内部に押し込め、心のなかの痛みと直面するの
を避けようとすることもある。誰もが涙を流すとは限ら
ない、グリーフは、非常に個別的なものであり、強い
痛みを伴うものだ」(27P)
「子どもを失った悲しみのなかには、他人とわかち合う
ことが可能なものもある。しかし多くの親がいだく罪意
識、怒り、恐れといった感情は、なかなか他の人には
わかりにくいものだ。
罪意識は、なぜもっと早く病気を発見できなかったの
かという類の子どもの死に直接かかわるものから生じ
ることもある。そして、自分たちがとった行動とか、する
べきだったのにしなかったという後悔から、自分自身を
さいなんでいく。
また違うかたちの罪意識…たとえば、父親が、ほしが
っていたおもちゃを買ってやればよかったとか、仕事を
もつ母親がいつもそばにいられなかったことを悔いると
いったものもある。何か過去に起こした罪の償いなの
だろうかと思い悩むこともある」(28P)
本の中でもあったように思いましたが、
「なぜ、あの日にかぎって…」
「水をほしいと言っていたのに、あげることができなかった…」
「あの子はいったいどこでどのように死んだのか…」
さまざまな感情が遺族には生まれ、心の深い傷となります。
それは、容易に癒されることのない傷です。
そして、著者にとっての、級友たちの「突然の死」。
いったいどんな“Grief”が、かぶさってきたのだろうか、
そんなことを考えました。
話はまた変わりますが、自衛隊の田母神元幕僚長が、
8月6日に広島に来て「広島の平和を疑う」という講演をしたそうです。
その後も、平和式典に出席している被爆者・遺族にたいして、
侮辱的な発言をしています。
『デス・スタディ』には、こんな指摘も書かれています。
「死によって生じた傷あとは、容易にいやされるもの
ではない。そしてその傷は、周囲の人たちの心ない
言葉や態度で大きく広がっていく。死別を経験した人
たちは、心ばかりでなく、身体を病むことが多い。
人の悲しみに対し、私たちはもっと謙虚であらねば
ならないような気がする」(128p)
「死は残された者にとって、その死をとり込んだ新しい
生のはじまりのときでもある。一生とり去ることのでき
ない悲しみを背負いながら生きていかなければなら
ないのだが、悲しみのなかには、看取りや死別後、
他の人から投げかけられた心ない言葉によって増幅
されているものもあるのだ」(282P)
田母神さんは、自分の言葉が、
被爆者の悲しみを増幅させ、その傷を深くさせている、
ということに、想像力がまったく働いていません。
言葉による暴力とは、このことです。
(そういう人に限って、「言論の自由」という言葉をよく使います)
痛みへの想像力。
人の悲しみへの謙虚さ。
人として失いたくないものです。
カゲ茶さんありがとう。
そうですか…、そのことはまったく知らなかったです。
学徒たちの死は悲劇としか言いようがありません。
「原爆しょうがなかった」の久間さんが落選したのは、よかったです。
投稿情報: 長久 | 2009年9 月10日 (木) 10:17
有名ではないですが長崎にも建物疎開作業に動員された学徒たちの悲劇はありますよ。
今年の世界大会で、聞いた話ですが、三菱の工場を火事から守るために近くにたてられている家を壊す作業をしていた学生たちが(爆心地から100mぐらい)のところで、全員即死しているそうです
投稿情報: カゲ茶 | 2009年9 月 8日 (火) 23:02