きのう(22日)は、78期岡山労働学校の第4講義、
テーマは、
「ヒバクシャの心の傷を追って」でした。
講師は、今期はこれで講師任務終了の、私でした。
参加は16名でした。
学びがどんどん深まっている
なと感じます。
被爆の実相を広げていく
大きな力になると思います。
さて、きのうの内容は、
目には見えない「心の傷」の話。
基本は、被爆者の証言を中心に
講義をすすめました。
証言の内容は、参加者の心を激しく揺さぶりました。
講義の中で使った、
被爆者の証言を集めた資料はこちら↓
「心の傷」の証言集→kokoronokizu.pdfをダウンロード
眞實井房子(ますいふさこ)さん証言→masuisan.pdfをダウンロード
また、講義の最後に、
長崎の被爆者の渡辺千恵子さんのことを紹介し、
渡辺さんのことを歌った合唱と語りのCD、
『平和の旅へ』(長崎のうたごえ協議会)を会場で流しました。
全部で8曲あるんですが、
時間の都合で4曲目から
聞いてもらいました(約18分)。
歌の歌詞をかみしめながら
聞いてほしい、と説明。
合唱の間に入る日色ともゑさんの
語りが、本当に渡辺さんが語って
いるように聞こえるからすごいです。
私、この合唱を4年前に行った長崎の
世界大会で生で聞いて、
もうほんとうに鳥肌が立つほど感動して、
その場でCDを買ってしまったのです。
こんな形で使えるとは…買っててよかったぁ~。
以下、講義の概要です。
一。「被爆者の心の傷」とは
1。『夕凪の街 桜の国』(こうの史代、双葉社)から
ぜんたいこの街の人は不自然だ 誰もあのことを言わない
いまだにわけがわからないのだ
わかっているのは「死ねばいい」と 誰かに思われたということ
思われたのに生き延びているということ
そしていちばん怖いのは あれ以来
本当にそう思われても仕方のない
人間に自分がなってしまったことに
自分で時々気づいてしまうことだ (P15~16)
そっちではない
お前の住む世界は そっちではないと 誰かが言っている
8月6日
水を下さい 助けてください
何人見殺しにしたかわからない
堀の下の級友に今助けを
呼んでくると言ってそれきり戻れなかった
救護所には別の生物のように まん丸く膨れた集団が黙って座っていた
そのひとりが母だった
(略)
死体を平気でまたいで歩くようになっていた
時々踏んづけて灼けた皮膚がむけて滑った
地面が熱かった 靴底が溶けてへばりついた
わたしは 腐ってないおばさんを冷静に選んで
下駄を盗んで履く人間になっていた
(略)
あれから十年
しあわせだと思うたび
美しいと思うたび
愛しかった都市のすべてを思い出し
すべて失った日に引きずり戻される
お前の住む世界は ここではないと
誰かの声がする (P23~25)
2。被爆者の「心の傷」を具体的にみる
◇心のありようは、きわめて個別性が高く、100人100様…
*被爆者の個別性を越えた、「心の被害」の共通性を考える
*そして、その「心の被害」が、被爆者の生活や生涯にどんな影響を
与えているのか。
◇被爆者の記憶の障害-見ているのに、見ていない
*「あの日」の記憶の欠損(被爆者の証言Ⅲ-資料②ページ)
「見ても見えないという現象は、いきなり襲った『恐怖・驚愕』、想
像することさえできなかった事態の出現(一瞬にして消えたまち、
大量の異形の死体)に対する自我防衛反応と考えられる。それ
は本能にのみしたがった逃避行動であり、視角入力の拒否であ
る。これらを通常のごとく入力していたのでは、身がもたないから
である。このメカニズムはほかの『不意打ち・大災害』でもおこっ
ている」
(『ヒバクシャの心の傷を追って』中澤正夫、岩波書店、2007年)
「被爆者の記憶を論ずるとき、…『既成の概念にない出来事』とい
う点が土台にあることを忘れるわけにはいかない」(前掲書)
◇「自分だけ生き残った」「見捨てた」「なぜあの時…」
*罪意識、自責感、自己否定、後悔…
(被爆者の証言Ⅲ-資料②~④ページ))
「被爆から日がたってくると『あの日』に無意識に、本能的にとっ
てしまった自分の行動がしだいに思い出されてくる。その行動は
人間としてどうであったかを自問するものとなる」(前掲書)
「本当の敵は原爆であると昇華し、あの状況では『やむをえなか
ったと受け入れること』と『自分の個人的体験がもたらす情感』
に折り合いがついていない」(前掲書)
「自責感をともなう鮮明な記憶は、いくら経っても封印されること
はなく、逆に強化される。それは相対化されることを拒むきわめ
て『個人的なもの』となり、その結果、さらに被爆者を苦しめ続け
るという悪循環におちいっていく」(前掲書)
*眞實井房子(ますいふさこ)さん証言-「ざんげ」(資料⑧⑨)
・見捨て体験とも関係する「見ても感じない」
「自分が避難するために他者をかえりみる余裕がなかったこと、
取りすがる他者をふり払ったこと(一般的な「見捨て体験」)も感
情麻痺なくしては考えられない」(前掲書)
◇「何も感じなかった」「モノのように扱かった」
*感情麻痺、人間性の喪失-自己査定
(被爆者の証言Ⅲ-資料④~⑤ページ)
「原爆でひきおこされた災害は『不意打ち』であり、だれも想像
できない残酷さと規模であったため、通常の感情・思考・判断
が停止状態におちいったのである」(前掲書)
「軽傷で余力のある人が大量の死体を見、運び、名前も確認せ
ず焼き、うめる。非日常的な光景である。日常的な弔いにつき
ものの、情感の高まりをもっていては作業できない。死者に個
人を感じない、人間を感じない、『麻痺状態』でなくてはできない。
その意味で、感情麻痺も本能的に作動した自我防衛機制とい
える。喜怒哀楽を感じるメカニズムにバリアを張ってしまったの
である。それでもあとになって『モノのように扱ったこと』『何にも
感じなかったこと』は、人間として許されないと、被爆者の心に
深い傷として刻印されていくのである」(前掲書)
◇いまなお続く、引き戻らされ体験
(被爆者の証言Ⅲ-資料⑤~⑥ページ)
*ちょっとしたキッカケで、「あの日」の状況が、恐怖と自律神経
症状をともなって脳裏に再現してしまう。フラッシュバック。
*場所、音、光、臭い。
*「体験を語る」ことは、強烈な「引き戻らされ」のキッカケとなる。
◇死別の悲しみ(悲嘆)
*最愛の人を突然亡くした「心の傷」…
(被爆者の証言Ⅲ-資料⑥~⑦ページ)
*原爆は、殺す人を選ばない(無差別性)
「『時が経てば、苦しみはうすれる』と多くの人は思うようである。
たしかに、時の流れによって変化する部分はあるのだろうが、
悲しみそのものは消えることなく、死別の直後とはちがう悲し
みや思いが加わっていく。
時の流れは、遺族にとってやさしく、また残酷なものでもある。
死の直後のような激情が、突如おそってくるようなことはなくな
るものの、故人とともに過ごす計画をたてていた日が近づいた
り、誕生日を迎える時など、悲しみにひきもどされるきっかけは、
日常生活のあらゆるところにひそんでいる」
(『死別の悲しみを超えて』若林一美、岩波現代文庫、2000年)
「死は残された者にとって、その死をとり込んだ新しい生のはじ
まりのときでもある。一生とり去ることのできない悲しみを背負
いながら生きていかなければならない」
(『デス・スタディ-死別の悲しみとともに生きるとき』
若林一美、日本看護協会出版会、1989年)
◇あきらめきれない(行方不明による死体未確認)
*戻ってくるのではないか…(被爆者の証言Ⅲ-資料⑦ページ))
◇原爆症の恐怖(被爆者の証言Ⅲ-資料⑦ページ)
*自分も原爆症で苦しみ、死ぬかもしれない
「肉親、知人が被爆後障害になる、あるいは死ぬというできごと
は、『あの日に引き戻される』一番強烈なきっかけとなる。次は
わが身と考えるからである。…(略)健康を損なうことは『あの日』
に連れ戻される、強いキッカケなのである。だがそれを、被爆者
は口にしない」(前掲書)
◇サイレント・マジョリティ
*広島にて被爆した元軍医、肥田舜太郎氏によると、いつでも求
められれば自分の被爆体験を語れる人は、数千人のレベルで
あろうという。これは、被爆者の5%ほど。
*いまも自分が「被爆者である」ことを語れないは、40~50%とい
われている。
*原爆と自分を対峙させることにより、反原爆の思想を育ててい
く人も多い。それらの人が被爆者運動を引っ張り、核兵器廃絶
のたたかいに立ち向かっている。しかし、そこまで踏み切ること
がどんなに困難なことかを、私たちは忘れてはならない。
*サイレント・マジョリティ。いまも原爆のことを語れない人たちの
中にこそ、「心の被害」の本質がある。
◇自分が「ここまで生き残された意味」を求めて
*「あの日」生き残り、そして周りの多くが原爆症で死んでいった
*でも、「自分はまだ生きている」「老いてこのまま死んでいっていいのか」
*「死者との対話」をする被爆者
・核兵器は、まだなくなっていない。死んでいった被爆者は、この
状況をどうみているだろうか。
*原爆認定訴訟、初めて被爆体験を語りだす人、核廃絶運動に
加わる人・・・
二。人間をとりもどす-被爆者が原爆と対峙するとき
1。「人間喪失」から「人間回復」への道
◇人間に対する「基本的信頼関係」を奪った原爆
*人として死ぬことも、人として生きることも奪われた
*戦後の核開発・軍拡競争、国の被爆者支援政策の空白も、それに
追い討ちをかけた
◇被爆者の「人間回復」は、原爆と対峙するなかで育まれてきた
*被爆者は、悲しみ・怒り・恨みを誰しももっている。しかし、そこから、
「こんな体験を二度と繰り返してはいけない」「平和のために何かを
しなければならない」と行動することによって、人間を取り戻していっ
ている。
*大きな転換点は、1955年・原水爆禁止世界大会のはじまり
*渡辺千恵子さんのこと(資料⑩)
-『平和の旅へ』合唱のCDを聞きます!
2。私たちが、被爆者の生き方から、何を学ぶことができるのか
◇被爆者の生き方を「特別」扱いするのでなく、自分たちに引きつけて
考えてほしい
*「悲しい話を聞いた」だけでなく、その事実にたいして、私たちはどん
なリアクションができるのか。自分のなかでつかみ直してほしい。
◇人間らしさを奪おうとするものとの“たたかい”
*そのなかに、生きがいや仲間との連帯が生まれるのではないだろうか
*1人ひとりの人間が大切にされる、平和な社会をつくるために行動を
することのなかで、私たちも、「人間を取り戻す」ことができるのではな
いだろうか。
以上。
講義録はこちら。
091022_001.mp3をダウンロード
受講生の感想文。
「被爆者の方が原爆を体験したために、自分が
幸せになることにひけ目を感じるという所は、
とても悲しいことだと思いました。被爆者は被害
者で、つらい経験をした分、幸せになってほしい
と思うのに、『罪』の意識まで感じさせてしまう所
に原爆のむごさを感じます」
「1つ1つの証言がリアルに心に残ります。心の
傷が一生残るということはたいへん残酷なこと
だと思います。大人になって、その事に気づき、
原爆を残してはいけないと感じたことを覚えて
います」
「歌はいいなぁ。感動しました」
「被爆者の方の証言が心につきささりました。
罪の意識や後悔は、ずっと消えずにのこって、
終わらないのだなと」
「『私の体に刻まれたこの傷は癒えることはない』
と、混声で歌われる旋律を聞いたとき、大勢の
人が同じような思いをもっているということを改めて
考えた」
「“行動することによって、人間を取り戻そうとし
ている” …自分は何も失っていないし、何の
障害もない、でもなぜか、この言葉がよくわかる。
つもりなのかもしれないが、行動することのすご
さを知っているから。自分にできることを、やって
いこうと思う」
「心の傷は目に見えるものじゃなく、他人にはわ
からない。そんな大きな傷をヒバクシャの方たち
は1人で背負って今でも苦しんでいる、ということ
は、とても苦しいと思った」
「たくさんのヒバクシャの人の話を聞きたい。
歌もよかったが、語りもよかった」
「今日の講義では余りにも恐ろしい言葉が並ん
でいて、身震いがしました。被害にあわれた人数
や面積よりも、心情を表す言葉の方がより真実味
をおびていると思いました。
ヒバクシャの心中に重くのしかかっている“自責
感”などの加害的な思考があるから、被爆者の
方は声を上げて訴えれないのではないだろうか。
被爆者の方々にノーベル平和賞を是非とも」
なごみは14名が参加。
うーむ、有志参加なのに、
すごい出席率。
終わったら22時過ぎなのにね。
学びがつくりだす
一体感でしょうか。
きのうは、「食欲の秋、忘れられない一品」
というお話テーマで、
これまたかなりの盛り上がりをみせました。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。