さらに「書くこと」「書きあうこと」について深められた1冊になった。
学習運動の運動文化として、もっともっと「書くこと」について
推奨し、こだわっていきたい。
『生活綴方と教育』(志摩陽伍、青木書店、1984年)
以下、自分自身のためのメモとして。
なかには引用からの引用もありますが、面倒くさいので説明していません(汗)。
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すぐれた教師は例外なく、子ども・青年に高い要求を
もつ。(略)それはひとことでいえば「高い要求とあたた
かい指導の統一」といえるであろう。(10P)
からだとこころを生き生きとはたらかせる生活のしぶ
りを、かく以前の指導として日常的にとりあげながら、
かくこと、かかれた作品をとおしてさらに伸ばしていく
こと。(41P)
生活綴方が、なぜいっさいの他からの教育を自己
教育へ転化するすじみちを可能性としてもっている
かというと、そのキーポイントにはことばをにぎっている
という問題がある。いっそう正確にいうと書き言葉に
よる生活の自己表現をにぎっているという問題である。
(61P)
今日の言葉観は、ことばは、①コミュニケイション
手段であるとともに、②思考の基礎(手段)であり、
さらにこの2つを前提として、③自分のからだと心と
行動をコントロールする手段であるという第3の点も
強調し、解明しはじめているととらえてよいと思うが、
このさいごの視点は今日の子どもの発達をとらえる
さいにとりわけ重視される必要があろう。(61~62P)
自己のことばを自由に書くことは、封建的な人間関
係からの解放の第1歩だった。(73P)
子どもはコトバによって自分の行動を認識する。コト
バによってもう1人の自分を見つめ、自分と対話して
いく。コトバによって思いや願いを自覚していく。だか
ら、子どもたちは話さなければならない。そして、又、
書き綴らなければならない。子どもが自分の心の本
音を語る。あるいは書き綴るためには、心と体をひら
いていくことができる“学級集団”が必要である。バラ
バラな1人ひとりを結びつけていくコトバ、『連帯』と
『自治』を日々のこまかな出来事、級友との深いつな
がり方の中で学習していく働きとしてのコトバ。(101P)
ことばによる自己表現と民主的な人間関係が相互
補強的に深まることが必要。(103P)
指導性とは、学問、芸術の力量にもとづく授業の
指導から、子どもの集団の組織と討議と行動におけ
る教師の指導性、さらに一対一の生活指導にいたる
まで、さまざまな部分・側面があり、しかもそれらが
全体としてひきしぼられるなかに、その教師の教育
観がたちあらわれる。(112P)
子どもの書いたものが多くの眼で読まれるという
ことはどういう形になるか。それは、同じ教室に生き、
同時に学んでいる学級のみんなに読まれるんだと
いうことになろう。作品は教師ひとりではなく、学級
みんなに読まれるんだという基本的問題は、書く手
段としての文章そのものの性格を変えるだけではな
く、その内容それ自体にも考慮がはらわれてくる。
それは当然である。つまりそこには子どもの学級意
識の反映がある。したがって作品の質は厳密に言
えば学級社会の性格によって決定される。(169P)
これが文集になった時はぼく自身大いに役立った
し、子どもどうし目を見はるほどの人間的接触を増し
ていったと考えられた。そこでぼくは文集を学級の
社会的紐帯(Social band)と性格づけた。(169P)
これは、教育集団における学力というものを考えた
ことのある教師には、実践的にまことに自明なこと
なのであるが、子どもにやる気をおこさせるものは、
なかまや集団の教育力にまさるものはない。また、
ある教師の個人的教育力が実に大きくみえるばあ
いにも、その行使のしかたの実際をしさいにみると、
集団を媒介にして、個々の相互教育力を連動させ、
その波動を集団的に相乗させているばあいが少な
くない。学級集団内部においても、異質な個人的
能力のかかわりあいと、その集団内部の社会的
承認と評価が、まさに個人の可能性に自信と意欲
と展望を与えるという点が大きい。じっさい、学習
意欲にしろ、行動意欲にしろ、その子を内側から
持続的に励ますものは徹底した民主主義的人間
関係に裏うちされたなかまうちの期待と相互評価
であり、こうして発揮される個人の可能性の伸びは、
集団の発達可能性へと連動していくのが真相で
あろう(201~202P)
すぐれた作品、その子にとっての真実があふれ
でている作品の生まれでる指導過程をみるとはっ
きりしますが、そこで子どもの独自の感じかたや
考えかたが確立していく過程は、ひとことでいって、
こころのあれこれの動きと体験とが切り結ぶ過程
であり、その反映としての、内面のたたかいと創造
の過程です。人間の内面の情操、意志、見解など
の発達と、自分の外にある自然にたいして、社会
関係にたいして、また人間にたいしてはたらきかけ
る行為・行動とは密接な関係にあるからです。(223P)
「発達の土地がせまくなってきていないか」
「発達の土地を耕す時間が少なくなってきていないか」
「発達の土地を耕すなかまがへってきていないか」
「発達の土地に必要な肥料が分解してきていないか」
(225P)
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