7月30日。
朝7時40分、徳山港から大津島に行くフェリーに乗り込む。
フェリーからの眺め。このへんは、工業地帯がずっと続いていた。
船にのると、夏旅モード全開のような気分になって、いい。
40分で大津島の馬島港に到着。
港の売店には、回天まんじゅうなるものが。
「ようこそ 回天の島へ」と大きな看板。
ここは、戦争末期の特攻兵器、人間魚雷・回天の島です。
あれ? 向こうから、おおきな犬とおじいさんが。
写真撮影をさせてもらう。
名前はホームズくん。12歳だそうです。すごく体が大きかった。
おじいさんと、とても仲が良さそうでした。
しばらく歩いていると、黒猫くんにも遭遇。じゃれあってみた。
ちょっとした登り道を歩く。目指すは、回天記念館。
それにしても、朝から暑かった!
回天記念館につづく道。
両脇には、回天作戦によって亡くなった人の名前が。
出身都道府県はさまざま。
搭乗員、整備員他、145名。没時の平均年齢は21.1歳。
回天の碑。
回天の実物大の模型。全長約15メートル。
回天の母体となったのは、九三式魚雷と言われるものだったとか。
それを人間が乗り込めるように改造したそう。
ここから人間が乗り込む。つまり魚雷そのものに人間が入って、
操縦しながら敵艦につっこむというもの。
作戦の成功=死、というものです。
ただし、この作戦の戦局における有効性はほとんどなかったと思います。
断面略図がありました。
この回天の操縦は、一定の技術や知識が必要なため、
訓練も多く必要でした。
その訓練施設が最初に建設され、いまも遺跡が残っている
唯一の場所が、この大津島です。
じっさいに、海底から引き上げられたという、回天の動力部分。
回天記念館の外観。開館時間が8時30分という早さです。
とりあえず、中に入ってみることにします。入館料300円。
最初に、視聴覚コーナーで、24分のビデオをみました。
じっさいに、回天の訓練をこの大津島で行なっていた人の
証言が中心。当事者の言葉は、やはり重い。
館内はそれほど広くはありませんが、あの戦争の流れを、
回天の開発・訓練・作戦を説明しつつ、展示するというものでした。
戦没者の写真や、手紙、遺書なども。
ひとつひとつ丁寧にみると、この悲劇の重さを感じます。
しかし、残念ながら、あの戦争の全体像の中で
回天の作戦をつかむ展示とはなってはいませんでした。
来館者の記帳を読むと、少なくない人が、
「この人たちのおかげで今の日本がある」「国土を守る勇気に感動した」
というような内容を書いていました。
もちろん、「平和のために自分もがんばりたい」と書いている人も
多かったのですが、その努力の方向性をきちんと考えられる展示という
意味では、たいへん不十分であったと思います。
ただし、全体的には、
鹿児島の知覧にある、特攻の資料館よりは、
平和希求への意志を展示物や内容から感じました。
忘れてはいけない歴史を
残したいという思いも伝わってきました。
知覧にある特攻資料館の展示内容は本当にヒドイもので、
悲しみを吸収し、特攻の勇気をほめたたえる靖国的傾向が
プンプンにおっていました(その時のことは こちら に)。
日本には、あの戦争の全体像を学べる資料館が
ほとんどありません。
個々の悲劇や出来事を、全体のなかでとらえることで、
ほんとうの「次へつながる学び」ができると思います。
回天記念館も、
回天そのものについてはよく知ることができますが、
その回天の作戦が、ほんとうに必要だったのか、
なぜこのような悲劇が引き起こされたのか、
そうしたことについて考え、学ぶことはできないと思いました。
残念です。
あまりにも若くして命を断ち切られた人の無念。
彼らの死とはなんだったのか。
それを私たちがどう受けとめ、未来をつくる力にしていくのか。
考えていく必要があると思いました。
2日目後半へつづく。
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