最近読み終えた本。
といっても、どれも八重山旅行前に読んだもの。
『いしぶみ-広島二中一年生全滅の記録』
(広島テレビ放送、ポプラ社、2008年)
8月6日、本川土手に建物疎開作業で
動員された広島二中1年生321人と、
4人の先生は、被爆により、全員死亡。
その記録です。
死に場所がわかった生徒もいるが、
半分ちかくは遺体が見つけられなかった。
『原爆の絵-ヒロシマの記録』(NHK広島放送局、NHK出版、2003年)
広島で撮影された被爆直後の写真は、
爆心地から約2、2キロ離れた、
警官派出所前の写真(午前11頃)がある。
しかし、被爆の中心地でどんな惨状が
あったのかを記録している写真はない。
「あの日」の実相にせまるうえで、
被爆者の脳裏にいやがおうにも焼きついた光景、
そしてそれを描いた「原爆の絵」は、
真実と向き合う大きな役割を果たしている。
絵の1枚1枚をみるたび、恐怖があった。
私がその場にいるような錯覚を覚えたのだ。
涙なくして見れない絵も多い。
「いったいどんな気持ちでこの絵を描いたのか・・・」
そう思うと、さらに胸がしめつけられる。
『原爆の絵-ナガサキの祈り』(NHK長崎放送局、NHK出版、2003年)
こちらは長崎の被爆者が描いた
「原爆の絵」。
ただただ、怖い。恐ろしい。
被爆者が胸えぐる思いで描いた、
この真実の断面から、
被爆の実相を想像したい。
『死別の悲しみを超えて』(若林一美、岩波現代文庫、2000年)
被爆者の「死別」「喪失」体験を
念頭におきながら、読んだ本。
大切な人との突然の「死別」。
いままであった人間・社会関係の突然の「喪失」。
家どころか、町全体の「消滅」。
そのとき、人はいったいどんな
心の傷を負い、その悲しみは癒えるものなのか。
印象に残った言葉。
「『時が経てば、苦しみはうすれる』と多くの人は思う
ようである。たしかに、時の流れによって変化する
部分はあるのだろうが、悲しみそのものは消えるこ
となく、死別の直後とはちがう悲しみや思いが加わ
っていく。
時の流れは、遺族にとってやさしく、また残酷なも
のでもある。死の直後のような激情が、突如おそって
くるようなことはなくなるものの、故人とともに過ごす
計画をたてていた日が近づいたり、誕生日を迎える
時など、悲しみにひきもどされるきっかけは、日常
生活のあらゆるところにひそんでいる」(7~8P)
「1985年、航空機事故でも最大といわれる520名の
犠牲者をだした事故の時にも、遺体そのものの損
傷がひどく、身元の確認すら容易ではなかった状況
の中で、遺体をみることを押しとどめられ、遺体と対
面しないまま別れをした女性たちがいる。一方、身体
の部分のケガの跡などをたよりにわりだした胴体や
腕によって愛する人の死を確認し、それからしばらく
は悪夢が続き、夜も眠れぬほど苦しんだという人も
いる。必ずしも遺体を見た人と見ることがかなわな
かった人とで、はっきり二分できるわけではないが、
どちらかといえば、遺体をみた人の方が、時間の経
過に伴い、すこしでも前を向いて生きていこうとする
傾向がより顕著にあらわれている。そして死を目の
当たりにせず、遺体に直接触れて最後の別れをする
チャンスもなかった人の方が、当座のショックは小さ
くてすんだようにみえても、時間が流れてゆくにした
がって、逆に苦しみを増していったりしている。
感情も思考も、事実から出発していく、ということの
表れのひとつなのではないだろうか」(84~85P)
「あの日」の広島で、肉親に看取られながら死んでいった
人は、わずか4%ほど、といわれている。
2日前も、被爆者の手記を読んでいたけれど、
その人も肉親の遺体を見つけられず、
「どこかで生きているのでは」と苦しみ続け、
何年たっても、似たような人を見かけると
声をかけてしまう、と書いてあった。
「死別」は、その死をかかえこんだ、新しい生の始まりである。
そして被爆者の心の傷は、けっして消えることはない。
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