きのう(20日)、県学習協の常任理事会があり、
あらためて『学習の友』の普及・活用の大事さを議論しました。
『学習の友』の
普及・活用の意義について、
書いておきたいと思います。
労働組合活動をすすめるうえで、
『友』は必須アイテム、とまず言っておきたいと思います。
イメージするおもな読者対象を「労働組合員」としている
月刊誌は、産業別にもいろいろあって、
自治労連なら『住民と自治』、
医労連なら『医療労働』、
教職員なら『クレスコ』、
という具合に「ある」わけです。
そのなかで、『学習の友』の特長を整理するならば、
*あらゆる産業の労働者や職場が、記事のなかに登場してきて、
ぐんと視野が広がるし、「労働者」としての連帯性を学べる。
*いまどこの労働組合でも課題となっている、次世代の育成の
問題でも、『友』は、経験の浅い、あるいは若い読者層の
広がりをつくるべく、編集をしているので、わかりやすいし、使える。
*学習会での「活用」を最初から設定している編集となっている。
そのため、「話し合ってみよう」コーナーや、記事の分量も読み
あわせをするのにちょうどいい長さとなっている。
*その時々の情勢をコンパクトに学べるのと同時に、「そもそも」や
「基礎知識」を重視していて、教育誌としての役割ももっている。
などなど、です。
たとえば、連載記事のさいごに、「話し合ってみよう、考えてみよう」という
コーナーがあって(黄色で囲んでいる部分)、最初から「学習会での活用」を
想定しています。こういう雑誌は、他にはありません。
『学習の友』の活用で、さいきんの嬉しい話でいえば、
岡山県労会議の青年部準備会で、『友』の6月号が活用され、
そのときの学習会はとても盛り上がった、という報告がされたことです。
「ここ」(県労会議ブログ)に、その様子が載っています。
参加した人に聞くと、
「すごくそれぞれの人の意見が引き出されて、
活発な話し合いになり、時間が足りないぐらいだった」
「その人の意外な一面が見れたりした」
など、充実の時間になったようです。
『学習の友』は、学びの場を、とても活性化させてくれるのです。
よく出される感想で、
『友』の読みあわせをすると、記事の内容についてはもちろんだけれども、
かならず自分の職場の状況や活動の悩みなどが引き出されて、
すごく議論が深まるし、そのことによって交流もすすむ、というのです。
『学習の友』を媒介にして、
活発な学びと交流が生まれるのです。
では、どこで使うか。
*『友』学習会、と銘打ってやられているところもあります。
・岡山医療生協労組の月1回の『友』学習会は、もう2年をこえて
継続されています。若い組合員が中心に参加しています。
・倉敷地域での『友』学習会も、ほそぼそとですが、継続して
行なわれています。
*こういうタイプの学習会とは別に、「会議のなか」で『友』の読み
あわせをして活用されている場もたくさんあります。
・生協労組おかやまのパート部会などでは、『友』の読み合わせ
とその後の感想交流まで、会議のなかで行なわれています。
・さきほどの県労会議の青年部準備会のなかでの学習会。
・倉敷の民青同盟の会議などでも、よく『友』を使っての学習が
やられているそうで、会議の議論がぐっとしやすくなる効果が
あるそうです。
『友』学習会、と特別に時間をつくって行なうタイプは、
かなり労力が必要ですが、たっぷり学びと交流ができるので、
たいへん効果が高いです。
「会議のなか」タイプは、短時間でも行なうことで、
その後の会議の質に影響をあたえたり、議論が活発に
なる効果が見られます。
使い方は、それぞれの場所に適した方法で。
そして、
『使えば効果ばつぐん』ということでは、共通しています。
とつぜんですが、私は、『友』の部数の目安として、
「労働組合員数10人あたり、1部の『友』」ということを考えています。
つまり10%。
100人を組織する労働組合であれば、最低10部の『友』。
500人の労働組合であれば、50部の『友』。
10%。少なくともこれだけは、という目安のラインだと考えています。
『友』が、どれだけ職場に入っているか、読まれているか。
その労働組合の質的バロメーターのひとつになります。
だから、岡山県内の全労連加盟の労働組合員の数からいうと、
いまの『友』500部前後をウロウロ、から脱して、
少なくとも千数百部の『友』読者数にしなければ、と思っています。
なかなかたいへんな課題ではありますが、
岡山県学習協は、学習運動幹部のすばらしい活動の
伝統をもっています。そこに、ヒントもたくさんあるのです。
たとえば、1963年の創立当初、
初代事務局長だった、鴨川俊作さんの活動です。
残念ながら、
鴨川さんはもうお亡くなりに
なっているのですが、
追悼集『いつも労働者の中に』の
手記のなかに、その活動ぶりの
一端が垣間見れます。
同じ時期に活動され、
県学習協初代会長となった則武真一さんの
「鴨川さんの偲んでの手記」を以下、ご紹介します。
* * * * * * * * * * * * * *
労働者教育の先頭に
鴨さんの活動範囲はひろい。とくに労働運動の面から
思い出を語られる人も多いと思うが、私は、学習運動の
分野で鴨さんと一緒に頑張ったころのことを思い出し、
鴨さんを偲びたい。
三井三池のたたかいや安保闘争を通じて、日本の
労働者は多くのことを学んだ。企業内にとじこもって、
物とり闘争だけに終始していてはだめなんだということ。
職場の問題と地域・全国の問題、世界の問題をいつも
統一してとらえ、連帯してたたかわなくてはいけないと
いうこと。マルクスが的確に指摘しているように、資本
主義社会では労働者は時々しか勝利しないけれど、
真の勝利の基準は、たたかいを通じてどれだけ団結を
ひろげたかということ。そのためには、労働者はもっと
もっと学習して、度胸とカンの労働運動を変革していか
なくてはならないということも。
『学習の友』という雑誌を職場に持ち込み、職場に
無数の学習会を組織していこうと、学習を運動として
取組む独自の組織、労働者学習協議会が全国的に
結成されていった。その岡山県労働者学習協会の
初代事務局長を引きうけて頑張ったのが鴨さんだ。
私が会長を引きうけた。事務局は鴨さんの大きな茶色
のショルダーの中。“職場に何人『友』の読者がいるか
を意識的に追求していこう”“読者のいない職場へ『友』
を持ち込み、学習会を組織しよう”と鴨さんの熱弁を
思いだす。毎日のように打ち合わせたり、学習会へ
チューターとして出向いて頑張った。
“そんなに一度には増やせないぞ”とひるむ組織を
はげまし、よく不眠不休で頑張った。変革の理論を
絵に描いたような学習運動の幹部だった。彼も私も
お互いに労働運動の第一線をひいて、共産党県委の
常任活動家になった。理論・政策の県党の幹部として
大きな役割を果たしてきた鴨さんだが、労働者教育に
捧げた情熱は終生変わることはなかった。もっともっと
長生きをして、労働運動の強化のために頑張ってもら
いたかった。残念でならない。 (元衆議院議員)
* * * * * * * * * * * * * *
また、元全労連副議長の猿橋真さんの、手記も、
鴨川さんの活動姿勢の一端を知ることができます。
(前後の文章は割愛)
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「城をつくるのや」-鴨川さんと行動をともにした日々
ふりかえれば、鴨さんと私は、1959年からはじまった
衛都連の賃金闘争が契機となり、衛都連の賃金闘争の
経験を岡山県下にひろげるのだと、当時自治労県本部の
役員をしていた鴨さんが、私を岡山に呼びつけ、各市職労
で学習会を開催するだけでなく、岡山市職労、倉敷市職労
などいくつかの市職労のたたかいの現場にもひっぱりまわ
した。夜中に車に乗せられ鴨さんと岡山県下を走り回った
こと。学習会の翌朝、たしか児島で何人かの仲間と一緒に
魚つりをして、鴨さんと私だけが一匹も釣れず皆に笑われ
たことなど、その思い出はつきないものがある。
なかでも、鴨さんの活動の特徴は、夜中の集団交渉や
学習会のあと必ず何人かの活動家を残し、その市職労の
中核となるべき「自覚的な活動家づくり」の努力をつづけた
ことであった。「お城をつくるのや」「城壁をつくるのや」と
鴨さんは口癖のようにいいながら、「お前も手伝え」と私に
もその片棒をかつがせながら深夜から明け方まで、疲れた
体に鞭打って頑張り、今日の岡山県の自治体労働運動の
基礎をつくりあげていったのである。
* * * * * * * * * * * * * * *
ここには、学習運動を職場に根づかせ、『学習の友』を普及し、
そうした活動のなかで「担い手」をつくり、組織の質を高めていく、
その強烈な問題意識とねばり強い情熱的実践があります。
『学習の友』の読者が、職場にどれだけいるか、
また活用する場がつくれているか。
そのことを、岡山県下の労働組合運動のなかに、
意識的に持ち込み、追求していきたいと思います。
まずは、学習協が、動く。
みなさん、ご協力を、ぜひよろしくお願いいたします
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