12月に、真下信一さんの
『学問・思想・人間』(青木文庫、1974年)を久しぶりに
読み返したくなって、手にとりました。
さすが、ほんものの哲学者の言葉は古く
ならないなーと思いながら、
印象に残った言葉をツイッターでつぶやきました。
以下、まとめてご紹介します。
①知性と理性は同じものではない。知性は
一面性、断片性、抽象性がつきまとい、分析
と区別の立場が主となる。理性は全体的な
統一と総合の能力であり、「理想」を立てる
力、この理想へむけて現実をととのえ、導い
ていく力。
②歴史の連綿たる長い歩みのうちには、それ
を思想的にこなしてからでなければ先へ進め
ないような、進んではいけないような出来事が
ある。もしもそれを素通りするようなことがあっ
たとすれば、歴史によって必ず復讐され、い
やでもおうでも人間たちがそれから学ばずに
はいない時まで復讐は続けられる。
③もしも私たちがあのアウシュビッツとヒロシマ
からラディカルに学ぶことをせず、それを中途半
端にやりすごすか、ほおかむりですますならば、
歴史はもっと大きなアウシュビッツとヒロシマを
用意することでしょう。
④私たちは人間的に生きたいと思う。愛と自由
に向いて生きたいと思う。そうである以上、その
人間的な願いを阻むものが何であるかをよくつ
きとめなければなりません。
⑤あざむかれるというのは、私たちがそれぞれ
いちおう別物であるところの言葉と事実との関
係において、言葉の側によりかかって、それを
事実と同一視するところからきている。事実は
私たちをあざむかない。言葉があざむくのである。
⑦学問ということ。まず先人たちの知的努力の
成果を虚心にわが身に引き受けたうえ、ついで、
これに教えられ、これに導かれ、これにはげまさ
れつつ、新しく問いを発することである。まねぶ、
すなわちまねをする点では謙虚さが、問う点で
は大胆さが要請される。
⑧本を読む場合、自分の考え方や感じ方を直
接に補強してくれるものばかりを選んで、自分
の立場とはちがう書物は毛嫌いするというのは、
まともな読書の姿勢ではない。…自分ならばそ
の内容、その事柄をどんなふうに考えるのか、
というふうに自分の考え方をいっそう鍛えてみる
こと。
⑨学生時代の読書は、人間の自覚的な精神的
年輪の最初の輪を造形し、その後の人間的成長
もしばしばその形にそっておこなわれていくほど
に重要な意義をもつものなのである。
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